© 楽想目
本記事は2017年8月に公開していたブログ記事の再掲となる。
私がたまたまリアルで知り合い、Twitter上で多少の交流をした、とある同人ノベルゲーム作家の遺作についての記事である。
私がいかに衝撃を受け、感動したか……当時のプレイ直後の熱量を感じていただければ幸いだ。
彼とは一度、昨年のコミティアで話したことがある。
ご存じのとおり、コミティアはオリジナル作品のみを頒布できる即売会だ。パロディ無用、己の創意工夫のみで勝負する、楽しくも厳しい世界。
先日、即売会での頒布部数について話題になっていた。オリジナルの同人ノベルゲームとなれば、同人誌と比べてもさらに手にとってもらうのは難しいのではないか。実際私も初めて即売会に出たとき、100部持ち込んだところ売れたのはたった15部程度だった。
売れないなんて、自分自身がよくわかっている。
それでもオリジナルの同人ノベルゲームが好きでしょうがなく、赤字上等で参加していたのが私であり彼だった。
彼は並々ならぬ熱意を持った青年だった。
同人ノベルゲームクリエイターの中には、シナリオだけでなくグラフィックもこなす、文章しか書けない自分からしたら超人的としか思えない人がしばしばいる。彼もそんな個人クリエイターのひとりだった。
彼とはいろんなことを語り合った。私がその頃から力を入れていた海外展開について、特によく聞かれた。これからのノベルゲームは英語がないととか、でも翻訳費用の捻出が難しいとか……当たり障りのない答えだったと思うが、彼は熱心に聞いてくれた。
コミティア後、彼とはTwitterで相互フォロワーになった。彼の創作に対するスタンスや悩み、時には人気作への隠そうともしない対抗意識がTLに日々流れた。
彼は、いわゆる承認欲求が強めな人だったのだと思う。
当然のことだ。クリエイターなら誰だって人から認めてもらいたい。いやノベルゲームなどというマイナーなジャンルの作り手たる私たちは、プレイしていると書いてくれるだけで狂喜乱舞する人種なのだ。
多くの作り手と同じように、彼は不安だったろう。本当に面白いモノになるのか。プレイしてくれる人はいるだろうか。いやそもそも完成するのか?
悩み、苦しみ……そして彼はついに新作を世に出した。
引っ込み思案で傷つきやすい教育実習生・内田姫紗希。
目標が見つからない格闘ゲーマー・那古龍輔。
友人との夢の終わりに直面する絵描き・都宮海。
3人の若者を主人公とした、一本道の物語。
彼らの人生は、きっとこの現代には珍しくないものだろう。しかしそのありふれた人生を、作者はこれまでのノベルゲームとは決定的に異なるアプローチで切り込み、描写することに挑戦した。
すなわち心理学、カウンセリングを主題として。
若者たちは本作のキーパーソン、心理カウンセラー橘真琴との語らいの中で、自分の弱さ、曖昧さ、人間関係、先の見えない未来に向き合っていく。
彼女はどこまでも優しく、明るく、希望を持って接する。主人公の3人に、そして画面の向こうのプレイヤーに。
そう、作者は明らかにプレイヤーにこう語りかけているのだ。
道に迷っていませんか。
生きづらくはないですか。
自分を責めすぎてはいませんか。
そして「こう考えてはどうでしょう」「こういう方法がありますよ」と、主人公たちを通じて提案する。
決して強制などしない。個人の考えにすぎないと橘真琴は、あるいは作者は言う。しかしそのストーリー構成は、ひとつひとつの提案に確かな説得力を持たせている。
淡々と、静かに、隙間なく、若者たちの苦悩を描写し続けた末に、ついに物語はクライマックスへと突入する。
それまでは辛さや苦しさがありながら、どこか優しい世界だった。
しかしそれも消え去り、ひとりの人間を徹底的に絶望へと追い詰める。明かされる物語の仕組み。まるで長いトンネルに入ったかのように続く、暗い暗い展開。
それもやがては終わり……輝かんばかりの救いの果てに、エンディングへと到達する。
おそらく作者はこう考えていた。
心理学! カウンセリング! それはそれとして! これで! ここで! こうやって! プレイヤーを唸らせてやるのだ!
圧巻だった。涙が出た。
あなたはストーリーで魅せるのみならず、音楽、グラフィック、歌――すべての素材とそれまで培った技術を総動員し、最高の演出をしてみせた。この演出を作り上げるのにどれほど試行錯誤したのか、同じクリエイターとして深く理解することができた。
過去の有名作と比べても、何ら劣るものではない! あなたはこんなにも心震える、魂の作品を生み出してみせた!
そう直接言ってあげたかった。
作者はもう、この世にいない。
今年5月のコミティア、そして先日のコミケで、この新作は頒布された。しかし当日ブースに立っていたのは親族の方だったという。サークルとしても一般参加者としても足を運んでいなかった私は、そのことをつい最近になって知った。
この頃つぶやきを見ないな、どうしたのかな。そう思っていただけの私にはあまりにショックが大きかった。
そして彼がもういないことが、『親愛なる孤独と苦悩へ』をプレイしなければならない、レビューを書かなければならないという決意に繋がった。彼が望んでいたように、多くの人に知ってもらうために。彼という無名の、しかし素晴らしいクリエイターがいたことを記録するために。
自信を持って言う。大傑作だった。
大傑作だっただけではない。あなたは見事、カウンセリングノベルともいうべきおそらくは誰も為し得たことのない新境地に達した。人生に悩むプレイヤーに、一筋の光明をもたらすに違いない。
本作は有志の働きかけにより、親族の許可の上でフリー公開されている。これをプレイせずして、2017年のノベルゲームが語れようか。ぜひ、ぜひ、プレイしていただきたい。
最後に、この記事を読んでいる方々にお伝えしたいことがある。
私は昨年のコミティアで、彼から前作の体験版をもらっていた。面白かったのだが、製品版を購入するには至っていなかった。まあそのうちに買えばいいやと。
それが、もう永遠に感想を伝えられないという結果になった。
小説、イラスト、漫画、ゲーム。
面白い、素晴らしいと思ったなら、どうか作者が健在のうちに伝えてほしい。たったひとつの応援メッセージが、創作者にとっては何よりの喜びなのだから。
ものらすさん、本当にありがとう。
あれからもう7年が経った。
あなたは天から見ているだろうか。『親愛なる孤独と苦悩へ』は、今までに多くの、とても多くの人がプレイしたのだ。
同人ゲーム・オブ・ザ・イヤー2017においては見事に総合トップの作品部門を受賞し、ErogameScape -エロゲー批評空間-においては(エロゲーではないのだが全年齢作品も多く登録されている)中央値90というきわめて高い評価を受けている。
ブログやSNSにはプレイの感想が、Youtubeにはプレイ動画がたくさん投稿されている。私と同じように感動したという人が今も生まれているのだ。
この記事で初めて本作を知ったという方は、ぜひとも時間を見つけてプレイしていただきたい。こんなにも素晴らしいクリエイターがいたのだと知ってほしい。ノベルゲームのプレイに不慣れな人は、各種プレイ動画を追うのでもいいだろう。
なお『親愛なる孤独と苦悩へ』はAdobe AIRというランタイムによって動作するのだが、最新バージョンでは上手く動作しないことが報告されている。
プレイ環境の構築が少し面倒なのだが、下記のブログで丁寧に解説されているのでご参考に。