発売元:アスキー
初出:1982年
日本のノベル・アドベンチャーゲームの歴史は、一冊の雑誌から始まった。
『月刊アスキー』1982年4月号、その付録である年刊AhSKI!2号にて、国産アドベンチャーゲームの嚆矢となった『表参道アドベンチャー』のプログラムリストが掲載されたのである。
アドベンチャーゲーム自体はApple Ⅱ、TRS-80といった海外製マイコンで経験している先進的なホビイストもいた。そこへ多くの人が『表参道~』で、この新しく魅力的なジャンルのゲームを知ることになった。
誌面はアドベンチャーゲームとは何か、から始まる。状況の表示と行動の入力を繰り返すゲームであり、基本的には一度しか遊べないこと。しかし1日やそこらでクリアできるものではないことが説明される。
内容は、ある斜陽のマイコン雑誌編集者が業界大手の月刊アスキーに単独潜入し、破壊工作を試みるというもの。遊びの精神も忘れない作り手の姿勢が窺える。すべて英語なのが特徴で、多くのプレイヤーは英和・和英辞典を脇に置きながら取り組んだことだろう。
難易度はなるほど高く、部屋に侵入するにもセキュリティを解除しておかないと、ドアを開けた途端にアラートが鳴り響きゲームオーバーになったりする。昔のアドベンチャーゲームでは必須だったが、自分でメモを作らないとマップの構造の把握すらおぼつかない。
私はかつて、『表参道~』についてはその存在を知っている程度だったが、ノベル・アドベンチャーゲーム研究の先達である福山幸司氏の講演を聞き、もっと深い背景があったと知った。
かつてアメリカで刊行されていたコンピュータプログラム専門誌『Dr. Dobb's Journal』1981年11月号において、An Advanced System for Developing "Adventures"――すなわち高度なアドベンチャー開発システム、「Adven-80」が紹介されたのだ。日本マイクロソフトの初代代表取締役社長である古川亨氏の著書には、こんな記述がある。
1982年のパロディー版アスキー(月刊アスキー1982年4月号のとじこみ付録である年刊AhSKI! 2号)に掲載された表参道アドベンチャーは、国産アドベンチャーゲームの草分け的存在だった。アスキー編集部の高橋直穂さんがAdven-80というアドベンチャーゲーム開発システムの記事が載っている『DDJ』(Dr. Dobb's Journal:ドクター・ドブズ・ジャーナル)を持ってきて、パロディー版ゲームのネタにしようという話になった。
――『僕が伝えたかったこと、古川享のパソコン秘史』 P51
このAdven-80を元に『表参道~』は開発された。ノベル・アドベンチャーゲーム制作ツールの歴史という観点からも、このエピソードは重要だ。
また福山氏には「月刊アスキーの1982年10月号には『表参道アドベンチャー』の読者感想が掲載されており、これが国産アドベンチャーゲームの初の感想ではないか」という情報もじかに教えていただいた。
AhSKI!4月号で初めてアドベンチャーゲームに接して、今までのゲームとは比べものにならないほどの奥行きの深さ、おもしろさに大変感動しました。ゲームを考案した人の発想力の豊かさには脱帽します。
――『月刊アスキー』1982年10月号 P162
始まりの作品としては十分だった。アメリカから遅れること数年、アドベンチャーゲームは日本で一気に拡大していくことになる。