アライコウのノベルゲーム研究所

ゲームライター・アライコウのノベルゲーム研究に関するブログです。

国産ノベル・アドベンチャーゲーム200選 第4回『ポートピア連続殺人事件』

『ポートピア連続殺人事件』(エニックス、PC-6001、1983年)

発売元:エニックス
初出:1983年

『ドラゴンクエスト』シリーズのゲームデザイナーとして有名な堀井雄二氏の、出世作となったコマンド入力型サスペンスアドベンチャー*1
 フリーライターとして活動していた堀井氏が仕事の一環として応募した、当時無名だったエニックス(現スクウェア・エニックス)主催の「第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」*2。これに堀井氏はテニスゲーム『ラブマッチテニス』で入賞し、ゲームクリエイターデビューを飾る。その次作として開発されたのが『ポートピア連続殺人事件』だ。

FC版『ポートピア連続殺人事件』(エニックス、1985年)

 本作は1985年11月にはコマンド選択式に一新してファミコンで発売された。『ドラゴンクエスト』を世に問うにあたり、RPGを知らない年少のファミコンユーザーに向けて、言わばステップも兼ねて作られたというのは有名な話だ。
 ファミコン版はPC版以上のヒットを記録し、多くの少年少女にテキストを読ませるコマンド選択型のゲームを布教した。本作の知名度はこのファミコン版によるところが大きい。

 今や国内有数のゲームデザイナーとして知られるため「堀井雄二論」は数多い。『ポートピア連続殺人事件』と関連するテキストは以下のものが参考になるだろう。これら先行研究も踏まえてまとめてみたい。

automaton-media.com

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 それまでのアドベンチャーゲームは『ミステリーハウス』『スパイ大作戦』などのように、宝探しと目的を果たしたあとの脱出・生還という内容が多数を占めていた。
 そこに本格テレビドラマのようなシナリオを導入し、ビデオゲームが重厚な物語を魅せるメディアになり得ることを、堀井氏は国内のクリエイターの中ではきわめて初期のうちに提示してみせた。

 本作の特徴のひとつが、プレイヤーキャラクター(ボス)に向き合う相棒・ヤスの存在だ。
 従来の宝探し的アドベンチャーゲームにおいては、プレイヤーは背景を、物を見ていた。プレイヤーは姿の設定されていないゲーム内の「あなた」にコマンドで命令してきた。しかし堀井氏は、プレイヤーの対話の対象となるキャラクターを画面に配置した。
 機械的な応答しかできなかったアドベンチャーゲームに比べて、命令を受け取るヤスの反応は(当然彼も機械の中の存在ではあるが)比較にならないほど人間味にあふれている。表現力に乏しいグラフィックの中で、これは非常に効果的に作用した。元は漫画家志望で漫画原作の仕事もしていた堀井氏の才覚がここで発揮されたのだ。

『ポートピア連続殺人事件』の革新性は多くあるが、私はヤスというキャラクターそのものが最大の発明だったと考える。堀井氏は「キャラクター原論」で有名な作家・小池一夫氏の養成塾出身であることも知られている。
 パックマン、ドンキーコング、マリオ。1980年頃からアーケードゲーム発のキャラクターが人気を博し、その存在感は2020年代の今なお輝いている。
 ヤスは彼らに勝るとも劣らない、国産ビデオゲーム初期の大物キャラクターと言ってもよいだろう。

「犯人はヤス」

 あまりにも有名なこのフレーズとともに彼は現在も語り継がれている。特筆すべき容姿もない、少しお調子者かもしれない程度の若手刑事。
 しかしプレイヤーキャラの相棒でありながら実は真犯人だった――その一点を持って彼はビデオゲーム史上に名を残した。ゲームデザインやテキストを模倣できても、彼だけは真似できない。少なくとも日本のアドベンチャーゲームにおいて、この男以上に幅広く知られるキャラクターを見つけるのは難しいだろう。

 この強烈な漫画的キャラクターをはじめ、次々に進行するストーリー、台詞主体のテキストなど、堀井氏が『ポートピア連続殺人事件』で提示したアドベンチャーゲームの様式は素晴らしく完成されている。その後の国産アドベンチャーゲームのすべての土台となったと言っても過言ではない。

*1:頻繁に使うコマンドはファンクションキーへの割り当てが、最初に発売されたPC-6001版においてすでになされていた。これはコマンド選択式の前段階といえる。

*2:最優秀プログラム賞にはのちに『森田将棋』で将棋ソフト界に名を残した森田和郎氏、優秀プログラム賞にはチュンソフトを設立し『ドラゴンクエスト』の中心メンバーにもなった中村光一氏など、多彩な才能が発掘された。