発売元:任天堂
初出:1987年
恋愛アドベンチャーゲームの源流を辿るのは難しい。
かつてエニックス(現:スクウェア・エニックス)が発売した『TOKYOナンパストリート』(1985年)のような、軽薄なナンパや性行為を目的とした作品も広義の恋愛アドベンチャーゲームに含めることが出来るだろう。PCでは当時からこの手のアダルト作品は少なからずあった。
しかし、こと純愛ストーリー作品に限定するならば、最初期の作品として1987年の『中山美穂のトキメキハイスクール』が挙げられる。
私立トキメキ学園の転入生である主人公。転校初日にぶつかってしまった眼鏡の女生徒は、主人公も大ファンであるスーパーアイドルの中山美穂だった……。
タイトル通り、当時人気絶頂のアイドルだった中山美穂とタイアップしたアドベンチャーゲーム。開発は任天堂とスクウェアの共同で、スタッフには同時期に『ファイナルファンタジー』を発売する坂口博信、植松伸夫の両氏や、数ヶ月後に『ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者』を発売することになる坂本賀勇氏がいた。当時の経緯は下記のインタビューに詳しい。
この頃は今よりもアイドルとファンの距離が遠かった。そのアイドルとゲーム上とはいえ交際できるというコンセプト、そして学園を舞台にした恋愛アドベンチャーゲームそれ自体が画期的だった。このジャンルの祖のひとつという評価もあるのだが、私もなんら異論はない。
システムもただのコマンド選択型ではない。ところどころにダイアログ形式の選択肢を設けているのだ。別の記事でも触れているが、この形式は当時のアドベンチャーゲームでは珍しいものだった。
また、主人公の表情と組み合わせての選択もある。表情は6種類あり、攻略難易度をむやみに上げている一因にもなっているが、テキストに頼らない選択肢というのはアドベンチャーゲームの可能性を拡げるものだったと言える。
そして合間に電話番号が表示される。当時の本物の電話番号で、中山美穂のメッセージを聞けるという仕組みだった。前掲のインタビューによれば、企画が任天堂に持ち込まれた当初からのアイディアだったという。
しかし間違い電話が頻発するというトラブルがあった。対策はしていたものの、想定を上回る間違い電話があったようだ*1。現代ではまず真似できないシステムだが、ゲームと現実をリンクさせる手法のひとつとして、先進的な取り組みだったのは間違いない。
アイドルものということもあってか、さほど目立った評価は得られていない印象の本作。しかしマルチエンディング(2種類のエンド+複数のゲームオーバー)を採用し、選んだコマンドによって展開やメッセージが細かく違ってくるなど、その後の恋愛アドベンチャーゲームの基礎を少なからず作り上げている。何より中山美穂のアップのグラフィックは非常に良好で、眼鏡有り無しの差分があるのは、あまりに時代を先取りしていた。
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*1:ゲームボーイの生みの親・岡田 智氏が任天堂での開発者時代を語った「黒川塾 八十八(88)」聴講レポート
https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20220720007/