発売元:バンダイ
初出:1988年
もはや説明不要、日本が世界に誇る少年漫画である『ドラゴンボール』。原作者・鳥山明氏のあまりに早すぎる死去は記憶に新しく、世界中のファンのみならず要人までが偉大なる創作者を心から悼んだ。
本邦の最有力IPのひとつであり、原作連載時から現在まで、数多くのビデオゲームが作られ続けた。その多くは原作のテイストを反映した格闘ゲームだが、初期の作品にアドベンチャーゲームがあったのをご存じだろうか。
『ドラゴンボール 大魔王復活』――正確にはRPGとアドベンチャーゲームを組み合わせた、その後の格闘ゲームしか知らない人にとっては摩訶不思議と形容してもいい作品だ。
天下一武道会が終わり、のんびりした日々を過ごす孫悟空たち。ある日、買い物に出ていた彼らがカメハウスに戻ると、クリリンが死体で発見される……。原作のピッコロ大魔王編を大幅にアレンジしたストーリーで、まずはコマンド選択型のアドベンチャーパートが展開される。
アドベンチャーパートを抜けるとすごろく形式のマップ画面に移行する。本作のオリジナリティはカードでのマップ移動、そしてバトルを導入したことだ。敵との戦いはアドベンチャーパートの特定のシーンで発生するが、マップ画面でランダムに発生することもある。
マシンのスペックが十分でなかった頃のアドベンチャーゲームにおいて、いかにバトルを見せるかは課題のひとつだった。『機動戦士ガンダム』や『ウイングマン』などのようにミニゲームを組み込むのがひとつの手段だったが、漫画やアニメのような派手なアクションを見せるのは到底不可能だった。『ジーザス』などは映画のように第三者視点のカットを豊富に用いることで未知の敵との戦いを描いたが、これもテキストと一枚絵だけではおのずと限界があった。
そこで本作が採用したのは、漫画のコマ割を模した画面構成でのバトル。出したカードの星の数が敵よりも大きければ攻撃し、小さければ防御と、悟空と敵との戦いが間断なく繰り広げられる。戦略性はさほどないもののその分わかりやすく、アクション性を排した代わりにスピーディーに見せることにも成功した。
このようなシステムは当時他に例がなく、斬新かつ完成度が高いゲームデザインだった。このカード移動&バトルがその後のシリーズにも形を変えながら踏襲されていく。まさに初期ドラゴンボールゲームの根幹を成すシステムだったのだ。バンダイはこの頃からトレーディングカードの「カードダス」を展開しており、受け入れられやすい下地があったことも指摘できるだろう。
アドベンチャーパートに話を戻すと、これがバトルと同等以上に緊張を強いられる。ゲームオーバーになってしまう箇所がかなり多いのである。当時のアドベンチャーゲームにまま見られた「死にゲー」の要素があるのだ。
下水道で溺れてしまう、雪の中で凍えてしまう、飛び出る槍の罠にかかってしまう、カリン塔から落ちてしまう……悟空が敵からやられる以外でこれほど多彩な死にっぷりを見せてくれるのは本作だけだ。スーパーヒーローがそんなに簡単に死んでいいのかという声もあるだろう。
しかし実際のところ、ドラゴンボールのゲームシリーズにおいてifストーリーはひとつの見どころになっている。そもそも原作からしていくつもの可能性と未来があることが明確になっている(心臓病であっさり死んでしまう未来があるというのが最たる例だ)。それを踏まえれば、シリーズの歴史にこのような死にゲーがあるのも決して悪くはなかったと私は思う。
本作は一定の評価を受けたが、ファミコンROMの容量がさらに増大すると、よりリッチなバトル描写が可能になった*1。やがてスーパーファミコンに移行すると『ストリートファイターⅡ』に端を発するブームに乗って、完全な対戦格闘ゲームが実現した*2。クラシックなコマンド選択型アドベンチャーに頼る理由はもはやなかった。
では『大魔王復活』は、今日から見てどのように総括できるだろうか。
アドベンチャーパートの比重が高かったが、ジャンルに囚われないカードシステムを編み出し、原作を尊重したスピーディーなバトルを盛り込むなど、当時のスペックでの最善は尽くしていた。そして後続までの繋ぎを立派に果たしていたと言えるはずだ。アドベンチャーゲームがいかに異なるジャンルと融合してきたか、独自のゲームデザインを採用してきたか……そんな歴史の観点からも見逃せない、単なるキャラゲーの範疇に収まらない作品だと私は考えている。
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