
発売元:チュンソフト
初出:1992年
インタラクティブ・フィクションと呼ばれていた初期の頃から、アドベンチャーゲームは電子小説(electric novel)などとも表現されることがあった*1。しかし小説風ゲーム――日本の一般的なゲームファンの間にその概念を根付かせた立役者は、チュンソフトの『弟切草』を置いて他にないだろう。
1984年に天才と呼ばれたゲームクリエイター中村光一氏が創立し、ファミコン版『ポートピア連続殺人事件』や『ドラゴンクエスト』シリーズのプログラムで知られていたチュンソフト。長らく開発会社に徹していた彼らの自社ブランドデビュー作として『弟切草』は世に送り出された。スーパーファミコン発売以来登場していなかった、同機種初のアドベンチャーゲームだ。

主人公と恋人の奈美はドライブの途中、山道で事故を起こしてしまう。車を捨てて彷徨うふたりが辿り着いたのは、弟切草に囲まれた謎めいた洋館だった。導かれるように洋館に入ったふたりだったが、理解を超えた恐怖が次々に襲いかかる……。シナリオを手がけたのはベテラン脚本家・江戸川乱歩賞作家の長坂秀佳氏で、のちに同社の『街 〜運命の交差点〜』も手がけることになる。
画面全体に表示されるテキストと背景グラフィック、臨場感あふれるサウンド。ボタンを押すだけで小説を読むように物語を進められる――これらの特徴から付けられたジャンル名が「サウンドノベル」。PC、コンソールともに長らくコマンド選択型が根付いていたアドベンチャーゲーム界に、現在広く浸透している全画面表示ノベルゲームのフォーマットを形作った瞬間だった。
一部に不整合は見られるものの、時折現れる選択肢が物語と描写に細かな変化をもたらし、また何周もすることで新たな展開を見せるようになるという基本構造はすでに確立されている。オープニングがランダムで決定されるというのも周回プレイを飽きさせないための工夫で、これを採用している作品はそう多くない。
やがてプレイヤーは、何度も周回していることを前提にしたメタフィクション描写を目の当たりにすることがある。本作の白眉にして先進性だ。のちに流行するループ系ノベルゲームのエッセンスが、すでにこの時点で垣間見えることは興味深い。
そしてすべてのエンディングを見ることで解放される「ピンクのしおり」。いわゆるやり込み要素を、このジャンルにもっともふさわしい形で実現させているのだ。

無音の中で始まったアドベンチャーゲームは、その発展に伴いサウンドの比重を少しずつ高めていった。ストーリー重視の中でBGMが当たり前になり、PCエンジンCD-ROM²は大容量を活用してキャラクターボイスと歌を搭載できた。しかし効果音までにはさほど意識が向いていなかった印象だ。
そこで『弟切草』を振り返ってみると、サンプリング音源を用いた上質な効果音の数々と、絶妙な使用タイミングに唸らされる。オープニングでいきなり大きく鳴り響く雷鳴に初プレイのユーザーは驚いただろう。ドアの開閉音、ループする時計の音、水の跳ねる音、錆び付いた車椅子の音などが徐々に焦燥感を煽り立て――恐怖音とともに唐突に出現するミイラはノベルゲーム史に残るジャンプスケア。これらサウンド演出は、今のクリエイターでも参考にできる部分が多々ある。
実のところ本作はゲーム専門誌でも、サウンドとオリジナリティを除けばそれほど高い評価を受けたわけではなかった。しかし何度もリピートのかかるロングセラーになり、前評判を高めた次作『かまいたちの夜』(1994年)でサウンドノベルは真に人気を得ることになる。
何よりひとつのジャンルを市場に根付かせた功績は、本邦のビデオゲーム史全体を見渡しても特筆されることだ。1995年頃から他社でもサウンドノベル風のゲームが発売されるようになるが、軒並みホラーテイストだったことからも、その影響力の強さが見て取れる。
そしてこのジャンルはPCゲームにも波及した。サウンド以上にグラフィックを強化して「ビジュアルノベル」というジャンル名で定着し、今日まで多くのノベルゲームクリエイターを生み出すことになる。ついでながら私もその末席に座らせてもらっている。
【参考文献】
『サウンドノベル・エボリューション1 弟切草 蘇生篇 公式ガイドブック』(チュンソフト、1999年)
© SPIKE CHUNSOFT CO., LTD.
*1:国内では畑中佳樹氏による海外インタラクティブ・フィクションの批評書『電子小説批評序説』(ビー・エヌ・エヌ、1987年)がある。