アライコウのノベルゲーム研究所

ゲームライター・アライコウのノベルゲーム研究に関するブログです。

ノベルゲームの構造と演出 進行構造6「選択肢なし」

 選択肢が一切ないノベルゲームについて、以前にこのような記事を書いた。

選択肢なしノベルゲームの歴史概観――『たねつみの歌』序論として

 本稿では選択肢なしノベルゲームを世に出す理由について、もう少し考えてみたい。

①小説でいい?

 選択肢なしノベルゲームに対してたびたび言われてきたのは「それなら小説でいいじゃないか」というものだ。
 小説なら絵も音楽もスクリプト制御の必要もなく、圧倒的にコストを下げられる。誰かに協力を仰ぐわずらわしさもない。今なら小説家になろうやカクヨムといった投稿サイトが充実しているし、他人に読んでもらうハードルは低い……。
 一見筋が通っているように思えるが、これにはシンプルにこう反論できそうだ。

「コストがかかろうが絵も音楽も採り入れたいし、スクリプトで制御する楽しみを味わいたい」

 今さらのようだが、ノベルゲームが小説と違うのはまさにこの点だ。テキストを土台にして、作品世界を彩るグラフィック&サウンドを自由に組み合わせる。これらをピクセル単位、ミリ秒単位で制御し、自分だけのオリジナルアートとする。
 ノベルゲームは確かに物語を読ませることに特化しているが、このジャンルのクリエイターの多くは物語を読ませることを第一に考えてはいない。視覚と聴覚にも訴える、この形式だからこその表現で魅せたいのだ。その制作過程自体も楽しみの一部で、自分の産みだしたキャラクターが画面上で細かに動く様を見るのは、彼/彼女のテーマ曲を聴くのは、何にも変えがたい喜びだ。
 ともあれ、選択肢の有無は最重要ではない。

②形だけでも選択肢を採り入れてみたら?

 次にこんな意見があるかもしれない。

「とりあえず1個でも選択肢があればノベル"ゲーム"と言い張れるし、入れてみても別に損はないだろう?」

 こう言われて迷う人は、作品のコンセプトを見つめ直してみよう。シナリオライターの鏡裕之氏は、ゲームのコンセプトとは「ユーザーに一番楽しんでほしいこと」と明快に定義している*1
 つまり選択肢の導入がユーザーを楽しませることに繋がるか否か、を考えるのだ。
 たとえば主人公が、何事にも迷わない即断即決の人という設定ならば? 下手に選択肢を出してしまうと主人公のキャラクターがブレてしまい、作品自体の魅力の低下に繋がりかねない。

 ところで、形だけで実質あまり意味を成していない選択肢というのがここ十数年、運営型ゲームで多く見られる。主人公は基本的にしゃべらないが、選択肢を台詞代わりにする。わずかなリアクションの変化があるのみで(わずかな変化すらない場合も多々ある)、会話の流れや物語進行に影響は及ぼさないというものだ。

Fate/Grand Order』(TYPE-MOON / FGO PROJECT、2015年~)

 はっきり言って、この形式は一般的なノベルゲームにはそぐわない。主人公=ユーザーという傾向がより強く、あえて個性を与えないのが最適とされることの多い運営型ゲームだからこそしっくりくるものだ。少しでもゲームらしさを出したいからと、うかつに真似するのは疑問手だろう。

 中途半端に選択肢を入れるくらいなら、いっそ皆無のほうが作品のためにも良い――ノベルゲームクリエイターの間に、ぜひこの考えが浸透してほしいと思う。バージョンアップの過程でルート分岐とバッドエンドを廃止したという例もあるくらいだ。

『あなたの命の価値リメイク』レビュー:フリーのノベルゲームの価値

 繰り返しになるが、「ユーザーに一番楽しんでほしいこと」が第一だ。これを踏まえて選択肢が不要と判断したなら、それで堂々と世に送り出してみよう。

© TYPE-MOON / FGO PROJECT

*1:鏡裕之『美少女ゲームシナリオバイブル』(愛育社、2009年、P41)