アライコウのノベルゲーム研究所

ゲームライター・アライコウのノベルゲーム研究に関するブログです。

『cubic3』レビュー:『グノーシア』スタッフがかつて制作した実験的なノベルゲーム

『cubic3』(グロビュール、PC、2005年)

 

 本記事は2013年11月に公開していたブログ記事の、微調整の上での再掲となる。
 テレビアニメ化も果たした、今や世界的ヒットの『グノーシア』を放ったプチデポット。その前身サークルによる作品だ。その斬新さは当時強烈に印象に残っていた。

 


 

 2000年代半ば。『弟切草』がジャンルを確立した小説のようなゲーム――ノベルゲームが生まれてすでに10年以上が経っていた。
 この間にグラフィック、演出に関しては目まぐるしい進歩を遂げてきたが、文字で読ませるという基本的なスタンスは大きく変わらなかった。ノベルゲームはゲームではないと言う人も少なくないが、このような意見が出るのも、読むだけの作品はシステム的に仕掛けを施しにくく進化性に乏しいからだろう。連作形式で一度に答えを出さずプレイヤーに推理してもらうという手法の『ひぐらしのなく頃に』など例外はあったが、今後のノベルゲームの発展はかなり難しいものと感じられた。

選択肢により何もかもが変化していく

 そこで2005年、現れたのが『cubic3』というノベルゲームだった。
 真っ暗な場所で、記憶を失った状態で目覚めた「僕」がプレイヤーに語りかけるようにしてテキストが進む。暗闇の中で出会った「そいつ」と周囲についての怪奇を淡々と語るという、それだけの流れだ。
 しかし選択肢により時系列と語り手が変化するというのが、それまでのノベルゲームになかったであろう仕掛け。サイトから引用すると「あのとき、僕とそいつは、何をしたのか。そして僕は、その話を誰に、いつ話しているのか」。プレイヤーはこれをパズルのように当てはめながら、その難しさに頭をクラクラさせながら、結末まで導かれる。

 時系列や語り手をバラバラにして最後にピタリとすべてを収束させる作品は、小説ならば『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平、電撃文庫、1998年)などがあったが、これは本だから表紙からエピローグまで通しで読むという原則には逆らえない。
 しかし『cubic3』の場合、選択肢の存在によって「ここから最初に読むべき」という決まりすらない。言わば道しるべのないテキストの迷路である。しかも語り手が変わるのに語り口が変わらないのが困難に拍車をかけている。これはプレイヤーに作品世界を容易に理解させないために意図的にやっていることだろう。

エンディングリストを埋めると時系列がわかる

 とにかく複雑で読解が難しく、最終エンディングを迎えてもわからない人が多いと思う(私自身も最初そうだった)。だがいったん理解できれば、その計算しつくされた物語の絡み合いの感触に、妙な心地よさを覚える。
 ストーリー自体はそう大層でもなく、驚くような感動に満ちているわけではない。はっきり言って万人に受けるタイプの作品でもない。しかし本作が示した手法は、間違いなく斬新だった。このシステムで長編を作ったらとてつもない傑作が生まれそうな気がする、そう感じたものである。

© グロビュール

 


 

『cubic3』開発時のサークル名グロビュールは、現在プチデポットのスタッフブログのドメイン名にその名残を見ることができる。
 フリーノベルゲームに傾倒していた当時の中でも、トップクラスに印象深かった作品だが、実は本作が『グノーシア』スタッフの過去作というのを最近まで認識しておらず、Xのフォロワーが触れているのを見て「あれ、そうだったの?」となった。

 残念ながらゲーム自体は公開停止されて久しいが、幸い私はまだハードディスク内に残していた。せめて概要だけでもと、あらためて記事としてしたためた次第だ。