アライコウのノベルゲーム研究所

ゲームライター・アライコウのノベルゲーム研究に関するブログです。

『いえのかぎ』レビュー:児童の権利、そしてクズの権利。この主人公だから成立したノベルゲーム

© 活動漫画屋

 

 本記事は2018年5月に公開していたブログ記事の、微調整の上での再掲となる。
 この作品について、当時大きな議論が巻き起こったのを覚えている方も多いだろう。
 あれから時が経ち、「表現の自由」にまつわる議論がさらに頻繁に交わされるようになったように思うが、そんな今だからこそ、ひとつの作品として評価されてほしいと考えている。

 


 

 ノベルゲームにも、定跡というものは存在する。
 その最たる例が、「主人公は当たり障りのないやつにする」だろう。

 ノベルゲームはプレイヤーとゲーム上の語り手が同一の視点を持つ。つまり同化する。ゲーム上の「ぼく」「俺」「わたし」はプレイヤーそのものとなり、同じ一人称であっても小説とは決定的に異なる性質を持つ。シナリオライターの鏡裕之氏は、これを小説の一人称よりもっと手前の人称、「ゼロ人称」と定義している。*1

 もちろんきわめて個性的な主人公のノベルゲームも少なくはないが、この性質があるからこそ、語り手には当たり障りのないキャラクターが好まれてきた。情けないやつではいけないし、かといって普段から常人離れした大活躍をしてもいけない。特に、不愉快なことをさせてはいけない。それが幅広い層のプレイヤーに好まれるため、感情移入してもらうための必要事項であり、シナリオライターを志すならば必ず覚えておくべき基礎知識である。

 

 そして『いえのかぎ』は、その定跡に真っ向から逆らう作品だった。

 

『いえのかぎ』はサークル活動漫画屋による全年齢向けビジュアルノベルである。昨年の暮れ頃、この作品について一騒動が持ち上がった。

www.gamespark.jp

 Valveは最近も、セクシー表現のある複数の作品に「問題のある箇所を修正しなければ作品をストアから削除する」という脅しめいた警告文を送りつけた。もう何年もの間、何事もなく販売していた作品も含まれていた。これにはさすがにクリエイター側だけでなく、プレイヤー側からも大きな反発が起きて、Valveも前言撤回するに至っている。

automaton-media.com

 どう考えてもValveは基準を明確に定めておらず、たまたま「気に入らない表現」を目に留めたスタッフが、その場の考えでターゲットにしているように思える。『いえのかぎ』もおそらくはそうして消されたのだろう。
 しかしクリエイターが、そしてプレイヤーがしっかり声を上げれば、一大ストアといえども無視はできないことが証明された。私はこの作品を「海外で堂々とリリースされたバージョンを買えるその日まで待ちたい」と思っていたが、結局待ちきれず先日のコミティアでパッケージ版を購入してしまった。図らずも、今こそ『いえのかぎ』を冷静な視点で論じるのに最適なタイミングとなったわけである。以前の騒動のとき、ネットニュースから受け取った印象だけで本作に否定的な考えを持った人にこそ読んでもらいたいと思っている。

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 小学校教員・黒柳博士は、ある日学校の女子トイレに仕掛けた盗撮カメラを教え子の小4女児・佐久間梨香に発見される。弱みを握られた黒柳は、梨香のとんでもない計画に協力させられることに。その計画とは、校長が隠している数千万もの大金を奪うというものだった――

 

 黒柳は自分でも認めているペドフィリアである。妄想するだけならまだしも、盗撮という犯罪行為にまで及んでいる。クズと言っても差し支えはない。
 同人ゲームは自由こそすべてだ。どんな風に作ってもいい。とはいえこんな主人公は、私も今まで多くの同人ノベルゲームをプレイしてきたが、一度も見たことがなかった。こんな不愉快な男を主人公にして物語を作ろうなんて、誰が思うだろうか。

 しかし作者は、それをやってのけた。挑戦した、というのはおそらく違うだろう。「普通にありでしょ?」と当たり前のようにやったのだ。それもきわめて高い完成度で。
 このクオリティを支えていたのは、確固たる作品コンセプトだった。
 これについては、私があれこれ語るよりも、冒頭に表示される画像を持ってきたほうが早いだろう。

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 優れた作品には優れたコンセプトがあり、そしてコンセプトこそすべてに優先されるものだ。小狡い盗撮犯が主人公というのも「現実社会に存在する、目を背けたくなるような問題」を描写するのに必要不可欠だったのである。
 盗撮犯などではなく、普通に善良な熱血先生が主人公でもよかったのではないか? もしそうならSteamから削除されることもなかったかもしれないのに――こう考える人もいるかもしれない。しかしそんな「当たり障りのない」主人公では、この作品は成立しなかった。

 悪事を暴かれ弱みを握られた者が、他の悪事のために利用される――こうした筋書きの物語は、他にいくらでも例がある。定番パターンのひとつである。
 盗撮のターゲットとなった梨香は、もちろん黒柳を容赦なく警察に突き出すことはできた。しかし彼女は持ち前の小悪魔的発想で、彼女にとっては盗撮以上の問題を解決するために黒柳を引き込む。その手始めが、彼の盗撮テクニックを利用して校長の犯行の証拠を押さえるというものだ。これがただの善良な先生では、物語が始まることすらない。

 未プレイの方のために詳細は伏せるが、校長の悪事とは単なる多額の賄賂とか、そういうレベルの話ではない。本作には突拍子もなくジョジョネタが出てきたりするのだが、校長の所業はまさに「吐き気を催す邪悪」だった。
 その邪悪を過不足なく描写し、厳然たる現実として問題提起することが、本作のメインテーマである。


 そしてテーマは、もうひとつ見出される。他ならぬ主人公・黒柳の権利だ。


 黒柳の盗撮は、児童に対する重大な人権侵害だ。どちらの刑罰が重いかといえば校長の悪事のほうだろうが、黒柳の行いが許されるわけではない。ずっと以前からの常習犯ではなく「ちょっと遊びでやっただけなんだ」と述べているが、言い訳などできない。
 しかしそんな彼にも、他の悪事に義憤を覚える権利はある。
 その権利は、誰からも奪われることはない。「お前ごとき犯罪者にそんな資格はない」と言うのは簡単だ。しかしそれを認められる社会でなければ、健全な社会とは言えない。

 これはサスペンスのお約束だからネタバレしても差し支えないだろうが――ラストで邪悪は暴かれ、事件は解決する。黒柳は主人公の役目を果たすのだ。
 そう、誰にでも悪を糾弾する権利があり、ノベルゲームの主人公になる権利がある。たとえ黒柳のような小狡い犯罪者でも。
 盗撮からは足を洗い、梨香たちの成長を見守る決意をするところで彼の物語は終わる。二度と彼は教え子を傷つけることはないだろう。
 校長のように告発されないだけで、その罪が何ら許されたわけではない。校長の邪悪を暴いたことが贖罪になったわけでもない。
 それでも彼は、確かに主人公として、ひとつの在り方を示した。

 決してリアルに手を出してはいけない――その作品コンセプト、作者の主張は、彼が主人公だからこそ強く響いたのだ。そして、クズのような主人公を許容する懐の広さが、これからも同人ノベルゲームにはあってほしいと願っている。

 


 

 ――そんな『いえのかぎ』だが、今はどうなっているのだろうか。ふと思い出して検索したところ、DiGiket.comにおいて販売されていることを知った。
 登録日を見ると2023年06月28日とあるから、つい最近だ。即売会でのリリースから実に5年以上も経過してのことで、作者の様々な苦心があったことが窺える。
 レビューを読んで興味を持たれた方は、ぜひこの機会にプレイしてみてはどうだろうか。

www.digiket.com

*1:鏡裕之『美少女ゲームシナリオバイブル』愛育社 P242