アライコウのノベルゲーム研究所

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実は画期的で好評だった? 『ミシシッピー殺人事件』再評価論:後編

 

 前編では『ミシシッピー殺人事件』(原題:Murder on the Mississippi)の各機種の比較をし、オリジナル版が移植版より比較的優れており、システム的にも凝った作りであることを見てきた。
 この後半では、『Murder~』が発売されるまでのアドベンチャーゲームシーンの流れ、当時の記事での批評家たちの評価を見ていき、そしてなぜ日本では受け入れられなかったのかを論考していく。

アドベンチャーゲームの形式

 1975~1976年頃にウィリアム・クラウザーが開発し、ドン・ウッズが改良を加えた『Adventure』*1は、アドベンチャーゲームというジャンル名の由来ともなったゲームだ。「GET LAMP」といったコマンド入力によって進めていく探索ゲームが、インターネットの前身であるARPANETを通じて拡がっていった。
 以降、Adventure International*2、Infocom*3、Sierra On-Line*4などの新興企業が、PCテキストアドベンチャー(インタラクティブフィクションとも呼ぶ)の発展を担った。

 その後、Sierra On-Lineが『King's Quest』(1984年)を発表する。従来のコマンド入力型を踏襲しているが、三人称視点、つまり主人公を画面上で動かしながら探索していくタイプのアドベンチャーゲームとして話題を集めた。

 画面上の特定の点をプレイヤーが指定して調べられる、ポイント&クリック型のアドベンチャーゲームも広まった。Silicon Beach Softwareの『Enchanted Scepters』(1984年)、ICOM Simulationsの『Déjà Vu』(1985年)などが初期の有名作として知られる。

 日本国内においては、海外作品を手本にしたテキストアドベンチャー『表参道アドベンチャー』が月刊アスキー1982年4月号に登場した。本邦のコンピュータアドベンチャーゲームの歴史はここから始まった。
 堀井雄二作の『ポートピア連続殺人事件』は、オリジナルは1983年に発売されたPC版でコマンド入力型だった。翌1984年、同じ堀井作の『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』ではコマンド選択型が採用され、その利便性は急速に業界内に広まっていく。ゲームによっては、頻繁に使用するコマンドのみファンクションキーに割り当てるなど、しばらくはコマンド入力型と共存していたが、おおむね1987年以降、コマンド入力型を採用するゲームはほぼ姿を消した*5
 ポイント&クリック型も『惑星メフィウス』(T&E SOFT、1983年)が、欧米に先駆けて導入している。コマンド入力のできないファミコン版の『ポートピア連続殺人事件』でもシステムの一部としてこれが採用され、国産アドベンチャーのスタンダードとなった。

当時の記事を振り返る

 そんな中で1986年の夏頃、『Murder~』は登場した。
 当時の状況を踏まえて、雑誌記事やニュースレターでどのように『Murder~』が取り上げられていたのかを見てみよう。

このアドベンチャーのもっとも変わった点は、そのアクセシビリティだ。テキストはあるが、パーサー*6はなく、キーボードに頼ることもない。ゲームはすべてジョイスティックで操作し、簡単なメニューから選択する。

――Computer Entertainer 1986年6月号

『Murder~』は『King's Quest』同様の三人称視点だが、コマンド入力は完全に廃し、ジョイスティック操作のみとしているのが違いだ(AppleⅡ版はキーボードを併用できる)。もっとも変わった点と言及されるほど、このシステムに新規性があったことがわかる。
 マップを自由に歩き回り、簡単なボタン操作で気になった箇所を調査していく――ファミコン版をプレイした人もあまり気に留めたことはなかったかもしれないが、このシステムは当時非常に珍しいものだったのだ。

タイピングがお嫌い? 「何を言っているのか理解できません」というフレーズはうんざりするほど見てきた? それなら、パーサーをメニューやアイコンベースのインターフェースに置き換えた、このようなアドベンチャーを試してみてはいかがだろう。

――Commodore power/play 1986年10・11月号

 この頃はアメリカでも、もうコマンド入力型は時代遅れだろうという雰囲気が拡がっていたことが窺える文章で、『Murder~』はそのような作品ではないと言っている。このレビュアーは本作の美点を数々挙げて、「これまでにプレイした中でも最高のアドベンチャーだ」とまで言い切っている。

アダム・ベリンによって作成された『Murder on the Mississippi』は、これまで考案されたコンピュータアドベンチャーの中でも、最高のシステムと誇ってよいかもしれない。

――Ahoy! 1986年10月号

 ゲームデザインを務めたアダム・ベリンの名を出し、こちらも最高と表現している。

『Murder on the Mississippi』は実に素晴らしく、Activisionの初期作品にあった輝きを取り戻している。

――Zzap! 64 1986年8月号

 アメリカビデオゲーム業界の代表格であるActivision。初期にも数多の良作が生まれていたが、それらの作品にも劣らないと、レビュアーのひとりに評されている。

メモに追加するためにハイライトされた単語を選択すると、画面上の手がチャールズ卿の筆跡で単語を書き出す。これは素晴らしいタッチであり、熟練のコンピュータゲームプレイヤーを驚かせ、喜ばせ、また新しいユーザーにコンピュータゲームの魅力を伝えるものだ。

――Compute! 1986年8月号

 画面上に流麗に文字を描く――探偵がメモをするという行為の、当時出来うる限りのシミュレーションであり、従来のアドベンチャーゲームにはない驚きだっただろう。

 

 日本国内のファミコン情報誌では、このような批評は見られなかった。子供向けのゲームマシンと比較的高い年齢層向けのPCというターゲット層の違いがまずあるが、10年間のアドベンチャーゲーム文化が土台にあればこそ、その流れを踏まえた上での適切な批評が可能だったのだ。

当時のユーザーの声は?

 Commodore 64は1980年代、欧米で圧倒的なシェアを得たPCだ。単一機種としては歴代最多の販売台数を誇り、現在もファンが多い。
 Lemon64という、Commodore 64に関する情報サイトがある。ゲームのレビュー記事や熱心なユーザーのコメントが掲載されている。もちろん『Murder~』に関する記事もある。
 当時プレイしていた人は、どんな感想を抱いたのだろうか?

www.lemon64.com

 最後までプレイできなかったという声もあるが、少なくとも本邦のような極端に悪い評価は見られない。

ファミコンユーザー層には合わなかった

 1986年、最新鋭のゲームマシンだったファミコン。大人でも夢中になる人はいたものの、ユーザー層の中心は子供だった。
 子供たちが夢中になっていたジャンルは、アクションゲームとシューティングゲームだ。RPGは『ドラゴンクエスト』が出ていたものの、少なくともファミコンにおいては、まだ一大人気ジャンルとまでは言えなかっただろう。アドベンチャーゲームにいたってはすでに述べたように、『ポートピア連続殺人事件』以外の作品はなかった。
 ステージを軽快に走り、飛び、敵をかわし、倒していくアクションゲームとシューティングゲーム。『スーパーマリオブラザーズ』『スターソルジャー』などを代表に、人気作がいくつも生まれていた。

 そんな子供たちが手に取った『ミシシッピー殺人事件』はどう受け止められたか。
 主人公の動作の快適性は比べるべくもない。オリジナル版と同等の速度でもだいぶ厳しい。
 そして、どこまでも海外産アドベンチャーゲームである。
 Infocom製のインタラクティブフィクションと比べればプレイしやすいかもしれない。それでもアドベンチャーゲームをろくに知らない日本の子供たちには、あまりにも難しすぎた
 クオリティをそのままに、年齢層の高いPC向けに移植されていれば、海外ゲーム好きや歯ごたえのあるアドベンチャーゲームを求める一部の層には歓迎されたかもしれない。しかしその場合、今日ほどの知名度はなかっただろう。

その後、良作アドベンチャーゲームがいくつも生まれた

 他に大きな要因と考えられるのは、1987年以降ファミコンアドベンチャーゲームの良作が一気に増えたことだ。

1987-04-02 さんまの名探偵
1987-06-27 北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ
1987-09-04 ふぁみこんむかし話 新・鬼ヶ島
1988-01-23 リップルアイランド
1988-04-27 ファミコン探偵倶楽部 消えた後継者
1988-09-27 えりかとさとるの夢冒険

 87年と88年からいくつかピックアップしたが、これ以降もたくさんの良作が生まれている。それらの多くは日本の少年少女たちが好みそうな、漫画・アニメ的なグラフィックを採用した作品だった。この点も、海外の古典ミステリーを下敷きにしている『ミシシッピー殺人事件』との大きな違いだ。

 そして当時の子供たちが皆、発売すぐに『ミシシッピー殺人事件』を購入したわけではない。私もそうだったが、他の面白いアドベンチャーゲームをいくつもプレイしてから『ミシシッピー殺人事件』を見つける、というパターンもあった。
 進化の速いファミコンである。2、3年も経てばクオリティに大きな違いが出る。洗練されたコマンド選択型アドベンチャーゲームを知ってからでは、さすがに『ミシシッピー殺人事件』は厳しい。それが余計に、多くの人の低評価に繋がったのではないだろうか。

結論

 アメリカには10年間築き上げたアドベンチャーゲーム文化があったが、日本にはそれはなく、画期的作品だったとしても適切な批評ができる土壌がなかった。
 ファミコンの主要ユーザー層に合う作品ではなかった上に、間もなくその層にマッチした漫画・アニメ的アドベンチャーゲームが数々登場し、その良作の影に埋もれてしまった。
 そもそもファミコン版は良質な移植ではなかった。
 これらが『ミシシッピー殺人事件』が本邦で評価されなかった理由として結論したい。

 しかしそれでも、オリジナル版の『Murder~』が発売当時に示したゲームデザインの新規性、魅力は変わらない。ビデオゲームの歴史に、確かな足跡を刻んでいる作品だと私は考える。

 

 ここで気になるのは、当の開発者たちは『Murder~』をどのように思っていたのかということだ。
 もし否定的な考えを持っているなら、ここまでの論考もいささか価値を減じようというものだが――幸いにもそれは杞憂だった。

 次回は『Murder~』のプロデュースを務めた、元Activisionで数々の作品を世に送り出した伝説のビデオゲームプロデューサー、ブラッド・フレッガー氏のインタビューをお届けする。

*1:後年の商業版にも採用された『Colossal Cave Adventure』というタイトルが現在は一般的。

*2:スコット・アダムズが設立。代表作の『Adventureland』(1978年)はのちに日本移植版がスタークラフトから発売された。

*3:マサチューセッツ工科大学の学生らが設立。代表作は『ZORK』(1977年、商業流通版は1980年)など。1986年にActivisionに買収されている。

*4:ケン・ウィリアムズ&ロバータ・ウィリアムズ夫妻が設立。代表作の『Mystery House』(1980年)は最初にグラフィックを導入したアドベンチャーゲームとして知られる。本邦のマイクロキャビンが発売した同名ゲームとは無関係。本家の日本移植版はスタークラフトが発売している。

*5:ただし国内外ともにインディーシーンでは現在もコマンド入力型がしばしば見られ、『倉庫番』の作者として有名な今林宏行氏による『おじいちゃんの機械』などがある。https://thinkingrabbit.jp/

*6:構文解析をするプログラムのこと。